金髪娘とエルフ


序章 追われる者たちの邂逅

 

 「はぁっ、はぁっ、はっ……」

満月を厚い雲が覆った夜、混沌とした闇に包まれた森を、当てもなく走るエルフがいた。

 どれくらい走ったのだろうか。息はとうに切れ、長い銀色の髪は褐色の肌に張り付いている。その足取りは時にもつれ、細い体は幾度も前のめりに倒れそうになる。間に合わせに持ち出して来た杖が邪魔で仕方がない。

 背後から迫ってくるのは、彼の同郷のエルフたち。同じ東方アールガット族のエルフは、互いの持つ魔力の〝色〟で、同胞を探し当てる。

「ルグの生贄よ! お前がどこへ逃げようと、ルグの目からは逃れられんぞ!」

近づく同胞の気配と怒号に怯えながら、若いエルフは振り返りもせずに走り続けた。自らの運命から逃れようともがいた。

 すると、樹に囲まれた広い空間へ出た。このまま走り続けては見つかると思って、エルフは身を隠せる樹を探して立ち止まるが、勢い余って転んでしまう。

 この十六年間、ろくに鍛錬をしてこなかったせいで、村からここまで走ってきただけでもう体が言うことを聞かない。逃げなければ、という思考とは裏腹に、彼の肉体は立ち上がれなかった。

 ちらりと目を上げると、同胞の色が迫ってくる。

 捕まっては殺されるだけだ。なんとか脱出したあの村に連れ戻されて、太陽神の生贄として斬り裂かれる。

「来ないで……!」

荒い息の間から絞り出した声は、恐怖と絶望で震えていた。

 ふと、同胞の声が騒がしくなった。直後、彼らの色が消え、それと同時に、同胞とは異質のものの気配をすぐ傍に感じた。それは、自分たちとは違う何かでありながら、なぜかひどく惹かれる匂いをしていた。

「逃げおおせたかったら、立て」

頭上から降ってきたのは、娘の声だった。エルフが顔を上げてきょとんとしていると、彼女は手を差し出して、立て、と繰り返した。

「君、は……」

 ――雲が切れ、月が顔を出した。

 満月の明かりに照らし出された彼女の短い髪と大きな目は、金色に輝いていた。赤い石を両側に着けた耳はエルフのように尖った形をしていない、丸いヒト族の耳だった。

「あいつらは気絶させただけだ。じきに目が覚める」

娘はそう言うと、倒れたエルフの同胞たちを指さした。エルフが目をやると、消えたと思った色は鈍く揺らめいていた。

「彼らに何をしたの?」

「ちょっと殴って気絶させただけだ。早く立て、あいつらに殺されたいのか」

勇ましい口調と語気を低めて、娘は繰り返した。エルフは殺される、という言葉に反応して、反射的に身を起こした。が、すぐに眩暈がして、倒れこむ。

「ちっ、軟弱だな」

エルフが見せる疲労に悪態をつく娘は、月明かりに光る大剣を握り直すと、意識を取り戻して呻き始めたエルフの同胞たちに向かって歩き出す。

「だ、だめだ……殺しちゃだめ!」

彼女が何をしようとしているのかを悟って、エルフが慌てて振り返ったときには、娘の大剣は起き上がったばかりの同胞の一人を貫いていた。エルフが叫び声を上げそうになって必死に抑える。同胞が死ぬ場面を見たのは初めてだった。

 金髪の娘は飛び散る血にも表情一つ動かさずに、大剣を抜き払うと、次へ狙いを定める。

「だめだよ! やめて……!」

エルフが止めるのも聞き入れない。追っ手が付かぬように、皆殺しにしようとしているのだ。血に塗れた大剣を振りかざす娘の冷酷さに恐れを成したエルフの同胞たちは、彼女から逃れようと村の方角へ走り出した。それを追おうとするそぶりを見せた彼女を、エルフは咄嗟に、大声で引きとめた。

「待って、お願い!」

 その張りつめた声に、娘は足を止めて振り向く。

 全身に返り血が付いているが、不思議と彼女の醸し出す雰囲気は、月明かりに輝いて、恐ろしいというより、むしろ神々しかった。エルフは彼女に対してある種の畏れを感じて、敵意がないことを示そうと必死に口を動かした。

「君は……ヒト族だよね? どうして僕を……?」

エルフの問いかけに彼女は答えず、黙って顔についた返り血をぬぐう。彼が娘の態度に戸惑っているうちに、再び月が蔭った。

暗闇に落ちた森で、しばしの沈黙がエルフの不安を掻きたてた。

エルフがしびれを切らして、もう一度口を開きかけたとき、娘の声が響いた。

「すぐにここを離れるぞ。逃げた奴らが追っ手を増やして戻ってくる。立てるか?」

そう言って近づいてくると、彼女はエルフに手を差し出す。

とりあえず、今この状況から自分を助けてくれた人には間違いない。エルフは謎の金髪娘に戸惑いながらも、その手を取る。

ふと、斃れた同胞を見やる。

娘はぐいっと手を引っ張って、エルフを立たせると、そのまま先へ進もうとする。エルフは腕を引いて、彼女を引き留めた。

「ま、待って。彼の弔いだけ、させて」

「そんな猶予はない」

 金髪の娘は冷たく言い放つ。先ほどの剣捌きといい、目的のためには手段を択ばない冷徹さがうかがえた。だが、怯えながらもエルフは引き下がらなかった。

「すぐ終わるよ。ルグ神の元へ還れるように祈るだけだから、お願い」

震えながらも懇願するエルフに、娘は少し考えた後、短く済ませろよ、と渋々弔いの儀を認めて、手を放した。

 ルグ、というのがどうやら彼の同胞たちの崇拝する神の名らしい。彼女が刺し殺した同胞の傍に膝をついて、鎮魂の呪文を唱えるエルフの口から、何度もその音が紡がれるのを、娘はそう思いながら聞いていた。

「ねえ、君はどうしてここに? 僕を助けに来てくれたの?」

弔いが終わって、いくらか落ち着いた彼がそう尋ねると、彼女はつん、とそっぽを向いて目を伏せた。

「まあ、そうなのかも知れない」

 お前を助けに来てやったんだぞ、私を頼れ、というような、恩着せがましい態度を見せないところを見て、エルフは彼女を信用する気になった。同時に、彼女が何者なのだろうという、純粋な好奇心がわいた。

「どうして、こんなところまで? 君の名前は?」

「あたしはリア。お前の光の力に惹かれて来ただけだ」

 彼女の言う光の力、というのにエルフは少し首をかしげて、すぐに「ああ」と合点がいった表情になる。

「太陽の魔力のことだね。僕はルグの生贄だから……ルー、とでも呼んで」

 そう言って彼は微笑んで見せると、立ち上がってリアの手を取った。

「改めて、初めましてリア。助けてくれてありがとう」

「ルグ神というのは太陽神か。なるほどな」

 一人で納得したような声を出すと、リアは握手もそこそこに、踵を返した。

「夜明けまでにこの森を抜けて、その先の街へ行く。遅れるなよ」

 ルーは自分を助けた彼女の真意もわからないまま、他へ行く当てもなく、彼女について歩き出した。不思議と、彼女と行動を共にできることを嬉しく思いながら。

 

 再び厚い雲が月を隠し、エルフの同胞たちが仲間を連れて森へ戻った頃には、そこに金髪娘とエルフの影はなかった。

 

 

 

―― 《第一部 銀の太陽》へ つづく ――

(2017.05.24. 公開)