Legend.2 ツバサ=シュヴァルツ

‐前編‐

 穏やかな春の太陽を受けて赤く輝く、採れたての果実。ミラノの城下町にある商店街は、天候のおかげもあって多くの人でにぎわっていた。活気あふれるざわめきの中、人ごみをすり抜けて歩く、金髪の少年がいた。

 少年が足を止めて、店頭の光る果実に目をやる。それから店主の男に目をやると、彼はちょうど別の客が買おうとしているものを勘定しているところだった。

「十五ミランです」

値段を聞いた客が懐からお代を出そうと、品物の果実をたくさん入れた買い物袋をちょっと下げたときだった。どんっ、と少年がぶつかって、よろめいた客が袋をとり落とす。その袋をつかむと、少年は駆けだした。

「ぬ、盗っ人! 待ちやがれ!」

 後ろから緊迫したざわめきが追ってくる。少年はそれを尻目に、まだ事態を呑み込めていない人ごみの中を、裸足で駆け抜ける。

 果物屋の店主が怒鳴る声が、商店街に響く。

「おい、その金髪の坊主を捕まえてくれ! 俺の店の商品を盗みやがった!」

それに応えるようにして、別の店から男たちが数人出てきた。

 器用に人ごみをすり抜ける少年が、どん、と動くものにぶつかった。

「チッ……」

舌打ちをして、それを避けて走る。何にぶつかったのかを見ている余裕はなかった。

「おい、誰かそいつを捕まえろ!」

 店主の叫ぶ声に、少年にぶつかられた人物が振り向く。茶髪で、若々しい顔だが、どこか静かで落ち着いた青年だった。店主と、ほかの男たちが走り抜けるのを、道のわきによけて通したその青年は、ふらっと路地裏に入ってしまった。

「こら待て!」

背中で、店主の怒号が近くなってきたのを感じた少年は、買い物客の中に、人質にできそうな小さな女の子を連れた母親を見つけた。二人に駆け寄ると女の子を母親から引き離し、首を押さえて、懐から取り出したナイフを首にあてる。

「きゃあっ、カティ!」

母が子を呼ぶ声が響く。名を呼ばれた当の本人はよくわかっていないようで、自分をとらえている少年と、母親を交互に見る。少年がナイフをぴったりと首につけて威嚇すると、母親がうろたえて叫び始める。

「やめて! いや!」

母親のうろたえぶりに、追ってきた男たちも戸惑う。

「おいガキ、落ち着け。その子を離せ」

店主もうろたえているのを見て、少年はカティを引きずって走り出す。

「カティ!」

 男たちが泣き叫ぶ母親を宥めながら、少年を見失わない程度に間隔を開けて追ってくる。だが、いったん路地裏に入ってしまえば、もう歩きなれているこちらに分がある。そう踏んだ少年は、角を曲がると、素早く次の角を曲がり、追っ手を撒く。だが母親が見えなくなって不安になったのか、カティが泣き始めてしまった。

「ママ~、やだぁ~……」

少年はやがて立ち止まり、泣き続けるカティに向かって苛立った声で怒鳴る。

「静かにしろ!」

その声に驚いたのか、カティは一瞬黙ったあと、一層大きな声で泣き出してしまった。これでは追っ手に場所を知られる。焦った少年は、ナイフを振り上げる。

 少年が目を瞑って、手を振り下ろそうとする。

 だが、その手が何者かにつかまれて、空中で止まる。少年がはっとして目を上げると、日を背負った人物がいた。

 少年が身をよじって、掴まれた手を振り払おうとする。が、意外にもすんなりと外れたその人物の手が、あっという間に少年のナイフを叩き落としてしまう。

 少年がナイフを追わずに、カティを引きずってその人物から後ずさる。顔を見ると、まだ若い青年だった。青年は落としたナイフを拾うと、少年に向き直る。

「その子を放しなさい。それと、その商品も渡して。盗んだものでしょう」

少年は息をのむ。後を追ってきた男たちに、こんな青年はいなかった。いったいどこから、つけられていたのだろう。

 少年がカティだけを放すと、カティは、少年と青年を交互に見て、ぱっと青年に駆け寄り、後ろに隠れてしまった。青年は少年に向かって、ごく冷静に話しかける。

「それも返しなさい。それは、お金を払わないと得られないものです」

少年は、果物の入った袋を抱きしめる。

「金なんざねえからこんなことしてるんだろうが…」

 そこへ、追っ手の男たちが姿を現した。

「いたぞ!」

 気づいた少年がぱっと身をひるがえし、駆け去ろうとする。その背に、青年が呼びかける。

「待て。ツバサ」

 少年が、思わず足を止める。

 男たちが、青年を不思議に思って、少年と彼を見比べる。少年は、ツバサ、と呼ばれて、青年を振り返った。その隙を逃さず、青年が続ける。

「お代はおれが出すから。ちゃんと謝るんだ」

 少年が青年に、問いかけるような眼差しを向ける。青年は、少年に向かって小さくうなずいてから、男たちに向き直る。

「すみません。弟が、ずいぶんないたずらを」

そう言って、すっと頭を下げる青年に、納得の色を見せる男たち。

「このガキの兄貴か。どういう教育してるんだ」

「よく言っておきます。……あの、お代はいくらですか」

青年が懐から財布を取り出すと、店主が進み出て、指を三本立てた。

「三十ミランだ」

 その言葉に、少年がはじかれたように顔を上げる。嘘だ。この商品をかっさらう直前に、店主が客に示したのは、その半額の十五ミランだったはずだ。

 青年は困ったように財布を探り、銀貨を一枚と、銅貨を二枚取り出した。

「……すみません、いま、これしか。売っていただけませんか」

「ふん、いいだろう。仕方ねえ、一度盗まれた以上は不良品だからな。おい、次はねえぞ、ガキ」

店主は青年の手から二十ミラン分を受け取ると、ほかの男たちを促して帰っていく。

 少年は、青年を不思議そうに見上げた。

「……なぁ」

「ねえ」

少年の声にかぶせて、カティが青年を呼ぶ。

「おにいちゃん、あのこの、おにいちゃん? ほんと?」

青年はカティに微笑んで、口に人差し指を当てて見せる。

「君は、お母さんのところに」

カティは、去っていく男たちを眺めてから、首を振る。

「ママいないもん」

「あの人たちについて行けば会える。ほら」

「いないもん」

青年が、仕方ない、というように肩をすくめ、立ち上がると、カティの手を引いて歩き出す。

「ついておいで」

カティは青年に手を引かれながら、少年を振り返る。少年は、すっと背を向けると、カティたちとは反対の方向へ走り去った。果物を入れた袋を持ったまま。

 


 噴水のわきに、佇んでいる金髪の少年がいた。その手に持った、きれいな湧き水に濡れた果物は、午後の日の光を反射していた。

 その近くには、別の子の姿もあったが、彼らはみな親を持ち、帰る家がある無邪気な子どもたちだった。彼らの騒ぐ声をどこか遠くに聞きながら、その少年は赤い果実をじっと見つめていた。

「ツバサ=シュヴァルツ」

透き通った男性の声がして、少年がハッとする。目を上げると、先ほど会った青年が近くに立っていた。

「これ、君の名前なのか」

青年は懐から、少年から取り上げたナイフを取り出して見せた。少年は、答えず、うつむく。

 自分のナイフに、何か文字が刻んであるのは知っていた。けれど彼は、文字は読めない。

「それ……そう読むのか」

彼がつぶやくように吐き出した一言を、青年は拾った。

「文字は読めないんだな。まあ、読めればもっとましな生活してるか」

その言い方に、奇妙な感じを覚えて、少年は探るような目で青年を見上げる。青年は、少年にナイフを返そうと差し出す。

 少年は面食らって、青年を見る。少年が気を取り直すように、ふっと息を吐くと、その勢いに任せて言葉が出てくる。

「あんた……変な奴。盗っ人の兄貴のふりなんかして、挙句ぼったくられるなんて、バカじゃねえの」

「ああ。たった五ミランを盗っ人の兄貴からぼったくって、盗っ人への罰だなんて、くだらない」

 青年のなめらかな返しに、少年は、怪訝そうに彼を見上げる。どうやら、青年はわざと騙されたふりをしたらしい。だが、言っている内容と裏腹に、青年の声には、どこにも馬鹿にしたような色はうかがえなかった。平坦で、どこか冷めたような声だった。

 少年はまた、ため息をつく。

「……なんで、俺を助けたの」

「……なんで、だろうな。わからない」

「は?」

少年の眼差しをものともせず、青年は、首をかしげている少年の隣に腰を下ろしながら答える。

「たぶん、似ていたから。……前のおれと」

独り言のように、そう呟く彼の灰色の瞳は、まるで何も映っていないかのように静かだった。

 青年がナイフを差し出す。少年は首を振って、受け取らない。

「それ、助けてくれたお礼に上げる。俺がもともと持ってる物は、それしかないから」

そう言って、青年が代金を支払った袋を抱きしめる少年。青年が、ナイフを置いて、問いかける。

「……君、家の人は」

「いない」

「家も?」

「ない」

あっさりと首を振る少年に、青年は目を細める。

「じゃあ……家族、ほしいか」

 それは、それまでの、冷たく淡々とした声ではなかった。

 少年が顔を上げる。青年は、その灰色の瞳に、しっかりと少年の目を捉えていた。

「……どういうこと?」

困ったように少年が聞くと、青年は、ふっと微笑む。

「そのままの意味だ」

 少年は、視線を落として、しばらく考える。

 やがて、少年は首を横に振る。

「いらない。もう、痛いのは、嫌だ」

「そうか」

青年が、少年の頭に手を伸ばす。ちょっと身を固くした少年の頭をなでながら、青年はつぶやく。

「痛かったんだな」

 少年は、最初は青年の手を跳ね除けてやろうと思って振り上げた手を、知らぬまに、降ろしてしまった。なぜだか、青年は、自分の痛みを理解しているのだと、直感的に分かったのだ。

 子どもたちの声が去っていく。そろそろ、家に帰る時刻なのだろう。

 いつの間にか、日が傾いていた。

「ツ…」

 青年が、指で手すりをなぞるしぐさをする。

「バ、サ」

 少年が、その指の動きを横目に見る。

「シュ……ヴァ、ルツ」

 少年が青年を見上げ、それから、置いてあったナイフに刻まれた文字を見る。

「変だ」

 青年が首をかしげて先を促すと、少年はつぶやく。

「『ツ』が、いっしょじゃない。違う文字だ」

「……よく気が付いたな」

 少年の言葉に、青年は柔らかく微笑む。

「文字、教えてあげようか」

 少年は目を輝かせ、うなずきかける。しかし、ちょっと視線をずらして、うつむく。

「何も払えないから」

「何も払わなくていい」

 青年が立ち上がる。少年が彼を見上げる。

「おいで」

「え……あの」

 少年が戸惑いながら、立ち上がる。

「…ああ、ごめん。おれは、タナンという」

タナンと名乗る青年が手を伸ばす。少年が、そっとその手を握る。

「……俺は、ツバサ。あの、どこに行くの?」

「警備隊拠点に戻る」

あっさりとタナンの口から飛び出した単語に、ツバサは身を引く。

 警備隊?

「大丈夫、捕まえようっていうわけじゃない。それにそれは、お代を払っただろ。五ミラン多く」

 ツバサの懸念を読んだように、先回りしてタナンは答える。

「あんたは、警備隊の人なのか?」

ツバサがおずおずと尋ねると、タナンはうなずいた。

 

 

「あ! いた!」

女性の声がした。ツバサがそちらを見ると、馬に乗った女性が二人、こちらに向かって駆けてきていた。タナンも振り返る。

「もう、探したわよタナン」

金髪のほうの女性が馬を降りて、近寄ってくる。どうやら、警備隊の仲間らしい。

「あら?」

女性が、タナンの影にいるツバサに気づいて、覗き込む。ツバサはびくっと固まってしまう。きれいな水色の瞳をした彼女は、タナンとツバサを見比べる。

「どうしたの、この子」

「拾いました」

流れるようにそう答えたタナンに、ツバサは目を見開く。しかし、ツバサがそれ以上に驚いたのは、女性の返しだった。

「あらぁ……そう」

すんなりと受け入れた彼女に、後ろから、茶髪の女性の声が飛んでくる。

「つっこんで、トレス」

 トレスと呼ばれた金髪の女性が、馬の上に少年を押しあげて自分も乗り、タナンはもう一人の女性に強制的に馬に乗せられる形で、警備隊拠点に向かう。

「あなた、お名前は?」

「……ツバサ」

後ろに乗った女性に聞かれて、少しためらってから答えると、女性はふふっと軽やかに笑う。

「不思議な響きね。私は、トレスというの。よろしくね」

ツバサは彼女には特に答えず、横を行くタナンと、もう一人の女性に目をやる。その視線に気づいた茶髪の女性がふっと微笑んでみせた。

「わたしはエリー。こっちはタナンね。あ、もう知ってるかな」

後ろに乗っているタナンを指さす彼女は、気の強そうな、それでいてとっつきやすい雰囲気だった。

「あれが警備隊拠点だよ。昔は貴族の屋敷だったんだけど、ずいぶん前に没落したんだって。空き屋敷だったところを、新設部隊のわたしたちに譲ってくれたんだ。王様がね」

エリーがそう説明してくれるうちにも、その屋敷に近づいていた。

 いくつか門を通って、馬小屋に馬を留めていると、別の馬が戻ってきた。

「あー、なんだ、見つかったんだ!」

あっけらかんとした女性の声だった。赤みがかった茶髪を後ろの高い位置で束ねている。後ろをついてきた馬に乗っているのは、タナンよりは背の低い、茶髪の少年だった。

「てめえ、声くらいかけてけよ」

不機嫌そうにそういう少年は、ツバサに目を留めて顔をしかめる。ポニーテールの女性もほぼ同時に気づいて、馬を飛び下りるとツバサに駆け寄ってきた。

「なぁに、この子、どうしたの? 君名前は? どこからきたの?」

いきなり質問攻めにされ、ツバサは答えに窮してしまう。

「ツバサっていうんですって。タナンが拾ったらしいわ」

トレスが穏やかに応えると、ポニーテールの女性がへえ~と納得する。

「あたしはポーニンっていうんだ! よろしくねツバサ!」

元気のいい声でそう言い、手を差し出すポーニン。ツバサはちょっと戸惑って、タナンのほうを見る。タナンは何も言わず、ただツバサを見つめ返している。トレスとエリーに合流してから、彼はほとんど口を開いていない。

 ツバサは気を取り直してポーニンに向き直ると、彼女の手をとった。

「あ、あのちっちゃいのはカイっていうんだよ」

ポーニンが後ろの少年を指さすと、すぐさまカイと紹介された少年の怒号が飛ぶ。

「今チビっつったなてめえ!」

「それ以外なんて言えばいいのさぁ~」

からかうようにポーニンが返すと、カイはぷりぷりしてそっぽを向く。

 玄関に入ると、広い空間が広がって、幅の広い階段が優雅に登っていく。玄関広間からは左右に分かれる廊下がのびている。ツバサを案内するトレスは、右手の廊下を歩いて行った。

「左に行くと宿舎。隊員の寝室がある棟につながっているわ。今はこっち、公舎ね。警備隊の仕事に関わるほう、勤務中はこっちに詰めているわ」

簡単にそう説明すると、トレスは応接間の扉を開き、ツバサを招き入れる。ひろびろとした空間に、質素な家具が並んでいる。

 ソファに腰を下ろすように勧めて、トレスは自分も座る。ツバサはちらちらと内装を観察しながら、一番落ち着く場所を選んで座ろうとする。ふと振り返ると、エリー、ポーニン、カイが続いて入ってきたが、タナンの姿が見えなかった。

ふと、不安がツバサの胸を過った。

「……タナンなら着替えに行かせた」

カイが、聞こえるか聞こえないかくらいの声量で告げる。ツバサの不安を素早く感じ取ったのだろうか。ツバサは、曖昧にうなずいて、シンプルなソファに座り、身を預ける。

「わたし、飲み物でも持ってくるね。ツバサ、紅茶でいい?」

エリーが声をかける。ツバサは戸惑うが、うなずいてみせると、エリーはてきぱきと応接間を出て行った。

「お待たせしました」

エリーが出て行ってから少しして、透き通るような男性の声が聞こえた。タナンの声だ。ツバサが振り返ると、タナンは他の四人と同じ制服に身を包んでいた。

「改めて、ようこそツバサ。私は警備隊隊長、タナン=セルリアンといいます」

 それを聞いて、ツバサは思わずソファから立ち上がる。心底驚いたのだ。

「たい、ちょう? あんたが?」

「ええ」

  事もなげに応えたタナンの目の平静さは、あの平民の服を着ていたときと少しも変わらなかった。

 

 

(後編につづく)



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