Legend.2 ツバサ=シュヴァルツ

‐後編‐

 ツバサは呆然として、ソファに腰を戻した。

「えっと。あんたは、俺をどうしたいの……?」

 ツバサは、戸惑いを隠せないまま、タナンを見ずにつぶやく。

「それは、君がどうしたいかによります」

ツバサと斜めになる位置に腰かけると、タナンは言葉を継ぐ。

「私が提供できるのは、二つの道だけです。ここで暮らすか、今まで通り城下町で、屋根のない生活を続けるか」

 ツバサが顔を上げて、タナンの目を見る。相変わらず、静かな、流れのない水面のような瞳だった。

「ここで暮らすって、隊員になれってこと?」

ツバサの問いに、タナンはゆっくりと首を振った。

「君の歳ではまだ、軍事演習を伴う部隊に入ることはできないと思います。正確に言えば、我々警備隊、それから憲兵隊と国境兵隊は、十二歳未満の少年少女を雇うことは禁止されているんです。君はたぶん、まだ九歳くらいでしょう」

 言っていることが難しかったが、タナンの問いかけにツバサはうなずいた。とにかく、隊員になろうとしても、九歳のツバサにはまだ無理だということはわかった。

 ぎゅ、と膝の上でこぶしを握る。

「下町に戻ったら、あんたは俺を捕まえに来る?」

 タナンの答えが返ってこなかった。ツバサは自分のこぶしに下ろしていた視線を、ちらっと上げた。その視線を受けて、タナンは口を開く。

「君を捕まえには行きませんよ。私たちは、私たちの仕事をするだけです」

「警備隊の仕事って、何なの」

タナンが答える前に、立っていたポーニンがソファにもたれかかって口を出す。

「町の見回りだよ~。何かあったら、憲兵にすぐ知らせるのが仕事。捕まえたり罰したりするのは、あたしたちじゃなくて、憲兵さんの仕事ね」

 タナンと向き合っているときに感じていた張りつめた空気が、ポーニンの明るい声で和らぐ。ツバサはちょっと肩の力を抜くと、ポーニンに尋ねる。

「さっき、タナンは俺が物を盗んだところを捕まえたよ。憲兵を呼ばなかったのはなんで?」

 トレスや、ポーニンとカイの顔に驚きの色が浮かぶ。

「そうだったのか」

カイが、尋ねるでもなく、そう漏らす。その、どこか納得したような声を、ツバサは不思議に思った。

「この子の場合は、未遂ですから」

タナンはつぶやくようにそう言うと、ツバサを見た。

「君が、ここにいるほうを選ぶなら、生活費は私が負担しますし、十二歳になるまでは働く必要はありません。それまでには、社会で働いて生きていくのに必要なことも、教えるつもりです」

 ツバサが、困惑した表情でタナンと、トレスたちを見る。トレスたちは、特に驚いた様子はなく、ツバサを見守っていた。

「……それ、あんたの養子になるってことじゃ……」

「それに近いですね」

 何の迷いも見えない瞳で、静かにそう言い切るタナンに、ツバサは言葉を失ってしまった。

 ツバサはタナンから目をそらすと、自分の膝に目線を落とす。

(俺に、選択権はない、よな)

 どうせ、城下町に戻っても、どこかで雇ってくれる伝手もなければ、どこかで盗みを働いたところで食いつないでいける保証もない。

 タナンに出会った時から感じていた妙な感じから察するに、彼も一度は放浪者の生活をしたことがあるのだろう。どうやって組織のトップにまで登りつめたのかはわからないが、切れ者であることに間違いはない。

 だとすれば、なおさらわからない。放浪者のはしくれであるツバサが、こんな好待遇を受けたからといって、タナンに律儀に恩を返すとは限らないし、寝首をかかないとも言い切れない、ということくらい、彼もわかっているはずなのだ。

 ツバサは、深く息を吸うと、膝から目を上げた。

「あんたは、俺に何をしてほしいの?」

 束の間、その場の時が止まったような気がした。

 トレスが、そっとタナンを見るのがわかったが、ツバサはまっすぐにタナンを見ていた。タナンは、ツバサの毅然とした視線を受けて、しばらく黙っていた。しかし、目だけはじっとツバサを見つめて、そらさなかった。

 扉が開いて、エリーが入ってきた。

「なあに、どうしたの」

エリーが場の空気に臆さずにつかつかと歩いてきて、紅茶をテーブルに置くと、空気が動いた。

「ツバサに、何かしてほしいわけじゃない」

やがて、つぶやくようにタナンが言った。

「私が君に、何かしてあげたいだけです」

 その答えに、ツバサは固まる。

 タナンの目は、やはり静かだった。

 トレスが、ふっと笑った。カイが軽くため息をつく。ポーニンがエリーと顔を見合わせて、明るく笑う。彼らの反応を見て、ツバサは悟る。

(ああ……。この人は、こういう人なんだ)

 お人好し、というのとも少し違う気がしたが、それくらいしか、彼を表す言葉が思いつかなかった。

「じゃあ、お言葉に甘えようかな」

ツバサが柔らかい表情でそう言ったのを見て、タナンがほっと肩の力を抜いたのが分かった。タナンもいささか緊張していたのだ。ツバサはそう思うと、不思議な心地がした。

タナンが立ち上がって、ツバサに手を差し出す。

「タナン、でいいですよ。ツバサ」

ツバサがその手を取る。

「ああ。よろしく、タナン」

 トレスたちも、安心したように二人を見ていた。

 

 

 警備隊員たちの訓練時間のあいだ、ツバサは中庭を見渡せるベランダで、彼らを見ていた。もう雪は解けたが、ミラノはまだ寒い。動き回っている隊員たちは大丈夫なのだろうが、ツバサはじっとしているので寒くて仕方がない。ポーニンが貸してくれたマントを羽織りながら、ぼんやりと訓練の様子を眺めていた。

 トレスが細身の、金の装飾が付いた剣を振っている傍らで、カイが銀色のシンプルなサーベルを振り回している。その少し離れたところで、エリーとポーニンが取っ組み合いをしている。

 それを、休憩に、と水を飲みに来たポーニンに話すと、彼女は「やだなぁ、喧嘩してるわけじゃないんだよ」と言って、けらけらと笑った。

「あたしは、銃を使った遠距離担当だよ。援護射撃ってわかる? でも体力がないから、エリーに鍛えてもらってるんだ。いざっていうときに、ちゃんと動けないと、みんなの足を引っ張っちゃうからね」

 ぺらぺらと話すポーニンに、ツバサはちょっと引っかかるものをとらえる。けれど、その感覚は雲をつかむようにあいまいで、ポーニンを引きずりに来たエリーに気を取られているうちに、消えて行ってしまった。

「ほら、さぼってないで。続きやるよ」

「もーエリーってば厳しいよ~! 人間には休息も必要なのー!」

ああだ、こうだと反抗しながらも、ポーニンはツバサに手を振ってエリーに引っ張られていく。ポーニンが離れていくと、急にあたりが静かになった気がして、ツバサは落ち着かない気持ちになった。

 ツバサは、中庭に背を向けて、後ろの建物を見上げる。タナンは、たまっている書類があるとかで、訓練には参加せず、書斎にいる。

 ツバサは、トレスに案内してもらった時を思い出しながら、この建物の間取りを頭に思い浮かべた。このベランダから、書斎の窓を覗きに行くにはどうしたらいいのか、すぐに思い当たった。

 ひょい、とベランダを降りると、ツバサは建物の角を曲がって壁を伝って歩いていく。次の角を曲がって、しばらく行くと、次の角に出る。そこを曲がれば、裏庭だ。裏庭に面した窓を、背伸びして覗くと、案の定、タナンの後ろ姿が見えた。窓を軽く叩いてみると、タナンがぱっと立ち上がるのが分かった。

「……ツバサ」

窓が開いて、タナンが顔を出した。

「よくここがわかりましたね」

「だいたい、間取り把握しちゃった」

ツバサがちょっと照れくさそうに笑うと、タナンはふわっと柔らかい表情をした。ツバサがちょっと驚いて、それを見つめた。

「登って来れますか」

 ツバサが無理だというと、タナンは仕方ないな、というように手を伸ばす。ツバサはそれをつかむと、壁に足をかけて、タナンに引っ張ってもらった。

「誰かに言ってきましたか?」

ツバサを内側に下ろしてから、タナンが思い出したように言う。ツバサは首を振った。

「……いや。黙ってきちゃった」

「心配してないといいんですが……」

言いながら、タナンは特に気にするふうでもなく、窓を閉めた。こちら側は東に面していて、この時間はもう陰っている。風が冷たかった。タナンは書斎の明かりをつけると、暖炉に火をくべた。そして立ち上がると、書斎の端にあった肘掛椅子を、暖炉に引き寄せる。ツバサの後ろに回り、そこにあったソファを、暖炉の火の暖かさが届く位置まで少しだけ前に出す。ソファにツバサを座らせて、自分は肘掛椅子に座った。ツバサが、思い切って口を開く。

「タナンってさ、孤児だったの?」

タナンは、少しの間反応せずに、肘掛椅子をゆらしていた。

「よくわかりましたね」

「……誰かに拾ってもらったんじゃない?」

タナンが、ちらっとツバサを見る。

「ええ。そうです」

ツバサが、ふっとため息をつく。予想はあたっていた。

「そうだよな。じゃないと、俺を拾うっていう発想すら起こらないもんな」

独り言のようにもらすと、タナンが肘掛椅子から身を乗り出して、ツバサを見る。

 タナンが口を開きかけたとき、書斎の前の廊下に足音が響いた。

「タナン!」

ノックもせずに開いた扉の向こうには、ポーニンがいた。

「ツバサどこにいるか知らない……って、いた! あー、よかった、どこ行っちゃったのかと思った~!」

タナンに用件を言いかけたところに、ツバサを見つけて、一人でくるくる表情を変えるポーニン。それを見て、ツバサは思わず笑ってしまった。

「ちょっと~、本気で心配したんだからね? 笑わないの!」

ぷりぷりするポーニンの後ろから、ついてきていたエリーが顔を出した。

「どうやって書斎まで来たの? 全然気づかなかった」

エリーが不思議そうに聞く。ツバサが、裏庭から窓を探し当てたことを話すと、エリーは感心した。

「へえ、ツバサは賢いね。ポーニンなんか未だに、ここの間取り覚えてないのに」

「え~? そんなことないよぉ」

ポーニンがやいのやいのと騒ぐのを片手で制して、エリーはタナンを見る。

「そうだ、ついでに。夕飯当番、わたしが代わるから、もう少しツバサと喋ってなよ」

「え……」

 タナンが立ち上がって口を開きかけたのを、エリーが制す。

「いいの、貸しだからね。今度わたしの当番代わって。今日はちゃんとツバサに教えてあげなきゃでしょ、警備隊のこと」

タナンが、やや渋い顔をしながらうなずくのを見て、エリーはツバサにウィンクした。

「この人、ちゃんと聞かないと喋ってくれないから、質問攻めにしてやりなさいね」

ツバサが苦笑いするまもなく、エリーはポーニンを引っ張って出て行ってしまった。

 ポーニンもだが、エリーも、嵐のような人物だ。ふいにやってくれば、空気をかき混ぜて、去っていけば、妙な静けさを残す……。先ほどより静かになった書斎で、パチパチと暖炉の火が燃える音が響く。それを聞きながら、タナンは静かに立っていた。

 暖炉の火をさえぎって、静かにたたずむ影を、ツバサはしばし見つめていた。炎を受けて、タナンの灰色の目が、銀色にも、金色にも光って見えた。

 

 

 しんとして、音がない屋敷で、ツバサは目覚めた。日が昇ってはいたが、まだ隊員たちが起き出すには早い時間らしい。

 一瞬だけ、ツバサは、自分がどこにいるのかわからなかった。

 たしか昨夜、警備隊の隊長に、拠点まで連れてこられたのだ。その隊長の寝室で、一緒に寝たのを思い出した。だが、隣を見ても、彼はいなかった。

 ツバサがゆっくりと起き上がる。階下に、かすかな気配があった。

 重い扉を開けて、階段を下りる。三階に男性陣の個部屋があてられ、二階は女性陣の個部屋になっていた。一階まで下りると、広間を抜けて、リビングに入る。そこからまた奥に入ったところに、台所がある。貴族の屋敷だったときは使用人の生活スペースだったようだが、今では隊員たちがくつろぐときに使われている、とトレスが話してくれた。

 台所に動く人影がある。ツバサに気づいたのか、振り返った。

「おはようございます、ツバサ」

「おはよう、タナン」

ツバサは、少し照れくさそうに答える。久しく、こうやって人と挨拶を交わすことも忘れていた。

「何か作ってるの?」

「ええ、朝食を。味見してくれますか」

「え、うん……」

ツバサが遠慮がちにタナンに近寄る。タナンが小さい器にスープを入れて渡してくれる。温かい。

「どうですか?」

「おいしいと思う」

「よかった」

タナンが微笑むのを見て、ツバサはちょっと目を見開く。そして、視線を落とす。スープを全部飲みこんでしまうと、器を返して、その場を離れる。タナンは何も言わずに、ツバサを見送った。

 ツバサはリビングのソファに腰かけて、膝を抱えた。

(びっくり、した……)

 似ていたのだ。死んだ母の笑顔に。

 母も、あまりよくしゃべる性格ではなかったし、今さっきのように味見を頼まれた時もあった。「おいしい」と返すと、母もああいうふうに、柔らかい笑顔になったものだ。タナンは、厳しくて傲慢な父親よりは、静かで優しかった母親に似ているのだ。

 ――母が病気で死んだあと、精神的におかしくなった父に虐待を受けて、逃げるように家を出てきた。

 昨日、あの暖炉の前でそう話すと、タナンはただ、うなずいた。

 ツバサにとって、父親は恐ろしい存在だった。今でもそうだ。だから、たとえ養父として育ててくれても、タナンを父と呼ぶことはできないと思う、と先に告げたのだ。タナンは嫌な顔一つせず、自分のことを少しだけ話してくれた。

――私は両親を知らない孤児でした。独身の女性に拾われたから、普通の父親が子にどう接するのかもよくわからない。でもツバサのことは、大事にしたいと思ってます。養母が、それこそ、ツバサくらいの歳だった私に、そうしてくれたように……。

 ツバサは、抱えた膝をぎゅっと抱きしめて、顔をうずめた。

(タナンには、父さんがいないんだ)

 だったら、どちらかといえば母親に近いのも納得できる。子供にどう接するか、その手本が、養母しかいなかったのだから。

 養母のことを話しているタナンは、少し遠い目をしていた。もうその人はいないのだろうか。その人はタナンにとって、どんな存在だったのだろうか……。

(いつか、ちゃんと親子になれるのかな)

 いつか、タナンの笑顔に、母を思い出して悲しくなったりせず、笑い返すことができる日が来るのだろうか。

 タナンが作っている料理の香りにつつまれながら、ツバサはしばらく、膝を抱えたままじっとしていた。

 

 

 その日ツバサは、タナンの馬に乗せてもらって、城までついて行くことになった。他の隊員たちは、普段通りの見回りに出て行った。

 城に着くや、廊下で声をかけられた。

「やあ、タナンじゃないか」

 ツバサが驚いてそちらを見ると、金髪を短く切りそろえ、髭もきれいに剃った爽やかな男性が手を振っている。

「先生。おはようございます」

タナンが敬礼をする。ツバサが戸惑って、タナンの影からその男性を見ると、先生と呼ばれた男性がツバサに気づく。

「そちらは?」

「昨日城下町で出会った子です。拾いました」

 男性が納得したように、ツバサの前に来て腰を落とし、手を差し出す。

「初めまして。トレスには会ったかな、彼女の父親のグリータ=シナモンだ」

「つ、ツバサ……。ツバサ=シュヴァルツです。初めまして」

ツバサがおずおずと手を差し出して挨拶すると、グリータは微笑んでツバサの手を握る。微笑んだ顔が、なるほど、トレスによく似ていた。

「ツバサ。この方は私の師匠で、この国の最高位の文官、書記長官様です」

タナンが囁くと、ツバサが驚いてグリータを見る。貴族層の位についてはよく知らないが、かなり高いということだけは理解できる。そして、その娘だというトレスも相当位の高いお嬢様だったのだ。

「はは、余計なことをいうものではないよタナン。萎縮してしまったじゃないか」

気さくに笑うと、グリータ書記長官が立ち上がる。

「このところ忙しそうだね」

「はい、国境への出動が多くて書類がたまっています。今日は報告書を陛下に」

「うん。その調子じゃ把握していないだろうが、最近気になる事件が相次いでいてね」

「事件ですか? それは憲兵の管轄では」

「ああ、そうなんだが、君にも関係が……」

グリータがそこまで言ったところで、グリータの後ろから文官らしき青年が走ってきた。

「書記長官様!」

彼の声が尋常でないほど震えていて、グリータも緊張の色を見せる。

「失礼、私に急用だ」

グリータがタナンとツバサに短く伝えて、青年のほうに駆け寄る。

 ツバサがタナンを見上げると、タナンの顔にも緊張の色があった。

 ツバサがグリータのほうを見ていると、青年の話を聞くうちに、グリータの顔色がみるみる変わるのに気が付いた。

 グリータが何かを聞き返して、青年が声を抑えながら答えている。そのやり取りが終わると、グリータは青年に戻るように指示して、自分はタナンとツバサのほうに戻ってきた。

「今話そうとしていた事件に関連して、また新しい事件が起きたらしい」

ツバサがタナンを見上げる。グリータが続ける。

「中級の貴族を狙って起こっている一連の殺害事件なんだが、一昨日の夜に殺された当主の跡取りが、つい今朝方、殺されたようだ」

「……それが、私に関係があると……?」

タナンの声は、明らかに緊張していた。

「ああ。詳しくわかったらこちらの情報を伝える。ひとまず、陛下にはいつもどおり報告を」

グリータがツバサを見る。そして、タナンを見ると、弟子の緊張をほぐすように、ちょっと微笑んで見せた。

「それにこの子を、陛下に紹介しなければならないだろう?」

 

 

 

― 勇士伝 Legend.2 ツバサ=シュヴァルツ 完 ―



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