そして、日は昇る。
「起床~、きしょーお」
今朝の上官は特別眠そうだったが、ティアルはその大きな声のおかげで寝過ごすことなく、いつもと変わりなく任務に就いた。昼ごろになって、アフェカが一人の少年を連れてきた。
ティアルと同じくらいの年齢だろうか。
「ティアル、これが新しく配属されたヒッターの、アシュナだ。世話してやってくれ」
「アシュナです。よろしくお願いします」
右肩に、ティアルよりは新しい刻印が刻まれている。アシュナは無表情で、敬礼をした。
「ティアルだ。こちらこそよろしく」
ティアルは敬礼を返してから、アフェカに問いかける。
「アフェカ様、彼もヒッターなのですか」
アフェカはうなずく。
「そうだ。三年前から訓練を受けている」
ティアルはアシュナに一度向きなおる。アシュナは相変わらず無表情だ。
少し間を置いた後、ティアルはアフェカを見て言った。
「わかりました。お任せください」
「ああ。頼りにしているよ」
アフェカはそう言って去って行った。
アシュナは去って行くアフェカを無表情で見つめる。ティアルはアシュナに話しかけた。
「おれはティアル。ヒッターだ」
「オレもヒッターです」
アシュナははきはき答える。
「何歳だ?」
「十四です」
ティアルはアシュナの手を握ると、嬉しそうな表情をのぞかせて言った。
「おれも十四。同じ年のヒッターに会ったのは初めてだ。アシュナ、おれのことは目上に思わなくていい、ティアルって呼んでくれないか」
アシュナはかすかに、戸惑った表情を見せる。
「どうしてですか?」
「どうしてって……嬉しいからさ」
「うれしいと、呼び捨てにするんですか?」
「わからない。でも、アシュナとは親友になりたいから」
「親友……」
アシュナはすこし黙って、小さく言った。
「ティ………ティアル?」
「…なんで語尾が上がるんだ……?」
二人の後ろでゼナンが、かっかっかと声をあげて笑った。
「お前さんがた、仲良くやれそうじゃな」
ティアルはそれに苦笑で答えたが、アシュナはびっくりしたようだ。
「ティアル様、あの人は?」
「ティアル」
「あ、はい、ティアル、あの人は誰ですか」
「あの人はゼナンさん。もと聖職者だって」
ティアルはわざとそっけないように答えた。アシュナはその工作には全く気付かず、へえと納得の声を漏らす。
「あ、あと――」
「はい」
「敬語じゃない話し方できないか?」
アシュナはぽかんとしていたが、ちょっと考えてから「え」と言った。
「え……? は? 何言ってるんですか」
「言っただろ、親友になりたいって。敬語は、邪魔な気がするんだ」
アシュナは「でも」と焦ったように口走る。
「あの、その、しかし、一応オレは、ティアルの下に配属された者で……」
「ティアルとは呼んでくれるのにか?」
「うっ」
アシュナは赤面し、黙ってうつむいた。
ティアルは少し残念そうにつぶやく。
「まあ、嫌なら強制しないけどな」
「あ、いえ、決してそんなことは…。………確かに、変か」
アシュナが素直に苦笑いしたのを見て、ティアルは笑った。おそらく、ヒッターになったあと笑ったのはこれが初めてだろうと彼は思った。
いろいろやらせてみると、アシュナはティアルと同年代ではあるが、下位ヒッターとしては明らかに経験が浅かった。そこでティアルはアシュナに、基本的なことから、こういう風に振舞うのがよいとか、軍の中でヒッターとして生きるために重要なことを、彼の経験から話した。
アシュナはうなずきながらティアルの話を聞き、ティアルに尊敬の念をもっていった。
「上司に蹴られても口答えはしないほうがいいな。もっと悪化するから」
「へえ…」
「アシュナはヒッターになって何年経つんだ?」
「三年です」
「…敬語」
「ああ、すみま…あ、ご、ごめん?」
「三年だな。テストはクリアしたのか?」
「二つだけです…いや、二つ、だけ。……」
アシュナはぎこちない話し方だが、すこしずつティアルに慣れてきたようだ。
「どの二つ?」
「スピードと、地理。あとは、全然だめだった」
アシュナの言葉にティアルは首をかしげた。
「地理? 今はそんなのもあるのか。おれは、受けたことないな」
「実戦の時に困らないように、ちょうど三年前追加されたらしい。ティアルはいつテストを?」
「三年前に全部クリアした」
「えっ、すげえ!」
アシュナが驚いて言う。言ってから自分で、馴れ馴れしすぎたと反省したらしい、ちいさく「ごめん」とつけたした。
ティアルは首を振る。
「おれに話すときは、そういう、自然体でいい。そのほうが、お前らしいだろ」
アシュナはそれを聞いて安心したように、しかし少し照れてうつむいた。
ゼナンとシオンは、ティアルの上に立つ能力を垣間見て安心した表情をした。これなら、軍を離反しても、環境の変化にきちんと呼応できるだろう。それに何より、ティアルの人としての成長が、親同然の彼らにとっては嬉しかった。
アシュナの教育は、指導するのは初めてのティアルでも、そこまで大変ではなかった。アシュナは物覚えが良く、協力的で行動的だった。
アシュナが来て二週間経ったころ、朝一にシュアルが様子を見に来た。
「シュアル様」
アシュナが声を上げたのを聞いて、ティアルは初めて振り返った。入口にシュアルが立っている。その時はティアルは掃除をしていたのだが、シュアルの気配を感じ取れなかったらしい。
ティアルはあわてて掃除用具を床に置くと、最敬礼した。アシュナもそれにならって最敬礼する。シュアルはそれを見てうなずいた。
「よく教育しているようだな。ティアル」
「はい、ありがとうございます」
シュアルは入ってくると、アシュナに「もうよい」と敬礼を解かせ、ティアルに言った。
「ヒッターがヒッターの下に配属されるのは異例のことだ。だがお前たちは、よくやっている。どうだ、アシュナもお前よりは経験が浅いが、ヒッターのはしくれ。今度の暗殺の任務、二人で遂行してくれないか」
ティアルは驚いたが、すぐに、敬礼を解かないまま答えた。
「光栄です。承知しました」
「うむ」
シュアルは満足したようにうなずくと、アシュナに向かった。
「お前はあくまでも、ティアルの下に配属されている。ティアルのほうが経験も上だ。ティアルを信頼して動いてよい。現場の指揮権は彼にある」
アシュナはもう一度敬礼をして、「承知しました」という。シュアルは、振り向きざまにティアルに「頼んだぞ」と言い、出て行った。ティアルは敬礼したままだった。
シュアルが行ってしまってから、アシュナは興奮したようにティアルに言った。
「ティアル、とうとうヒッターとして働けるな!」
アシュナはもうすっかり、敬語では話さなくなっている。アシュナの明るい声に、ティアルは硬い表情で答えた。
「アシュナ、おれについてきてくれるか」
「もちろんだぜ。オレはお前の部下だ」
ティアルは呼吸を整えてから、アシュナを近くに来させてささやいた。
「おれは軍を離反しようと思っているが、それでもか?」
アシュナは驚いて、一瞬言葉に詰まった。それでもすぐにうなずき、こう返した。
「オレはティアルについて行くって決めたんだ」
ティアルはアシュナをまじまじと見た。アシュナもティアルにしっかりとした視線を返す。
ティアルは迷いなくそう言ってくれたアシュナを不思議に思ったが、すぐにうなずいて、説明を始めた。
「アシュナ、前にあの人のことを聞いたよな」
ティアルは老聖職者を示す。アシュナはうなずく。
「あの人はおれの祖父で、テレム国の聖職者だった人だ。隣の人がおれの叔父にあたるシオン祭司。……テレム国は知ってるか?」
アシュナははっきり答えた。
「知ってるよ。オレもテレムの出身で、三年前に隠れていた小都市ミディンが見つかって、軍に連れてこられたんだから」
「え、そうなのか?」
「ああ。だから軍に離反するのには大賛成だぜ。軍を抜け出して大教会都市ディルアンに着けば、こっちのもんだ」
ゼナンが大きくうなずいた。
「お前さんも、ディルアンを知っているのだね。これは心強いぞ、ティアル」
「はい」ティアルもうなずく。
「アシュナ、作戦を立てよう。任務の詳しい内容が来たら、それにあてはめるんだ。任務の内容が告げられるのはおそらく当日か前日だ。対策を少しでも考えておこう」
「ああ」
アシュナは同意して、ティアルとともに机の席につく。記録が残らないように、メモは残さず、すべて口頭でささやきあう。
「仲間がもっといたほうがいいんじゃないか?」
アシュナの言葉に、ティアルはうなずく。
「だが仲間になってくれるやつなんているかな?」
「大丈夫だよ。知ってるか? 今ヒッターをしてるのは、実はほとんどテレム人なんだぜ。テレム人なら、国家を取り戻すために戦ってくれるさ」
アシュナは確信に満ちてそう言う。
ティアルは、最近まで自分がテレム人だという認識がなかったため、そういう情報を耳にしたのは初めてだった。
「それならなんとかなるかもしれない。でも、任務は二人でやれとの命令だ……。仲間になってくれるとして、彼らはいつ軍を離脱すればいいのか」
「そうだなぁ。オレたちが任務を遂行したように見せかけるんだっけ? なら、そのあといなくなったおれたちを探すために派遣されれば、そのまま逃げおおせるんじゃないかな?」
ティアルが顔をしかめ、腕を組む。
「そううまくいかないと思う。軍はそんなぬるい追撃は行わないぞ」
「そうかぁ。どうすれば……」
ティアルとアシュナで唸っていると、
「ひとつ」
後ろでゼナンが口を開く。
「ひとつある。ヒッター全員が、軍を離脱する方法が」
ティアルとアシュナは振り向いて、口に指をあてながら近寄る。シオンがそれを見て、ゼナンの口に人差し指を立てた。ゼナンがそれに反応して、声を低くする。
「今、神が語りかけられた。『――ヒッターと軍離脱に賛成の軍人を全員、任務に協力させよ。そうして任務を遂行する前にティアルが暗殺の目標を逃がし、ティアルもともに軍を離反せよ。ティアルを追いかけるために、任務に同行していた全員がティアルを追い、軍に報告して援軍を要請せよ。その援軍が来ないうちに、ディルアンのシェフェラ教会へ入り、全員が反旗をひるがえせ』――主の御告げじゃ。これは神の計画。必ず成功する」
アシュナがうなずく。
「ありがとう、ゼナンさん」
ティアルは少し不安そうな色を見せ、ゼナンに尋ねた。
「おじいさん、神は何かほかに言っていませんか? 注意するべきこととか」
「ひとつだけじゃ。『シェフェラ教会では、軍から離反した者は誇ってはならない、仕える者にならなければならない』と言われた」
ゼナンはそう言うと、つけたした。
「わしはティアルとアシュナ、何よりたった一人の神を信じておる。大丈夫じゃ、恐れずに進みなさい」
ティアルとアシュナは静かに、しかしはっきりと「はい」と返事した。
ティアルがアシュナに合図した。人の気配を感じたのだ。二人が素早く任務に戻ると、まもなく声がした。
「ティアル、アシュナ!」
アフェカが入口に立っていた。二人は敬礼してアフェカのほうを向く。
「急遽、今日の夜任務が行われることになった! 目標が動いたんだ」
「アフェカ様」
ティアルはアフェカに、ほかのヒッターたちや軍人を連れていく必要があると伝えようとしたが、その前にアフェカは言った。
「いいか、今回の任務は急を要する。目標がどう動くか見当がつかなくなった。今回は二人ではなく、全ヒッターを投入し、さらに下級・中級・上級の軍人も同行させる。軍人の人選はティアルに任せる、指揮はお前が執れ。夜が明けるまでに決行しなければいけないぞ、いいな」
ティアルとアシュナは顔を見合わせる。こんな好都合なことがあっていいのだろうか。
敬礼したティアルたちをよそに、アフェカは慌ただしく出て行った。
「神の力じゃ」
ゼナンがつぶやいた。シオンもうなずく。
ティアルは、アシュナと分担して軍人の人選にあたった。きちんとした口実があるので、人目を避ける必要はない。だがヒッターが指揮官という異例の事態であることもあり、なかなか下につきたがる軍人はいなかった。
それでも軍に不満がある者や、テレム出身で軍人に昇格している者を見分け、確実な方法で「仲間」を着実に増やしていった。そしてその日の夕方には、ヒッター三百六十人に加え、軍人百四十人程度が集まり、あわせて約五百人となった。
ティアルは五百人隊長として、軍での最初で最後となる大仕事に就いた。アシュナはその補佐に入る。
二人は、綿密に計画を確認し、確実に目標を見つけ、殺さずに連れ出すという大仕事を密かに組んだ。
五百人で一致した認識を示すのは大いに難しいが、ティアルは力強く、ひとりひとりを励ましことで皆を一致団結させるのに成功した。
「ティアル」
そのなかで、一人のヒッターが話しかけてきた。
ティアルはそのヒッターを知らなかったが、彼はこう名乗った。
「わいはアジャンや。いきなりすまんな」
アジャンと言えば、ヒッターの中では有名な、二十年もの経験がある熟練ヒッターだ。
その名だけは聞いたことがあったティアルは、思わず頭を下げた。
「大丈夫です、何でしょうか」
「この計画、誰が思いついたんや? やけに綿密でブレがないから、気になったんやけど…」
「神さまですよ」
それを聞いたアジャンは、納得したようにうなずいた。
「そういや、ティアルは聖獄の番人をしとったんやったな。そこにいた聖職者が?」
「はい。おれの祖父の、ゼナンが」
アジャンはゼナンの名が出た途端、顔色を少し変えたが、ティアルは気がつかなかった。
「…祖父、な。聖獄に囚われとんのはテレム人だけのはずやけど、ティアルもテレム人か」
ティアルはうなずいた。
「この前まで、知りませんでしたけど」
アジャンはティアルの頭をぐりぐりして、言った。
「この任務、成功するで。頑張ろうな」
「はい」
アシュナは、計画は良く進んでいるとアフェカに報告に行っていたが、そのとき帰ってきた。
「ティアル」
「あ、アシュナ。アフェカ様は何と?」
「全て、ティアルとオレに任せたと。責任も一緒にな」
ティアルはかすかに笑った。
「重大な責任だな。だが失敗は計画のうち。神が助けてくださるだろう」
「ああ、うまくいくさ。頼んだぜ、ティアル」
アシュナは力強くティアルの背中をたたくと、軍人やほかのヒッターたちの様子を確認しに行った。
よく動く奴だ。
ティアルはそう思った。心強い。
任務決行二時間前、ティアルは整列している勇者たちに呼びかけた。
「決行は今夜。皆、自分の任務を確実にこなせ!」
おおっ、と気合いの入った歓声が上がる。アシュナも最前列で拳を高々と掲げている。
………出発だ。
* * *
二時間後、ティアルとアシュナはザノア帝国首都、ザノア市の郊外を走っていた。
軍からの指令は、「帝王の娘を暗殺すること」。
普通なら考えられないことだが、目標となってしまったその王女は、密かに神を礼拝していた。それを帝王が見つけ、軍に暗殺を要請したのだ。
自分たちが信じているたった一人の神のことを信じてくれているザノア人など、そうそういるものではない。だからこそ、テレム人が大半のヒッターたちは、この王女の救出作戦に大いに賛成したのだ。
一方その王女、エテル姫は、身の危険を感じたのか側近たちとともに森林浴へ出かけた。あちこちを転々として、動きの予測が不能。それで、アフェカたち軍の司令官部は焦っていたのだ。
ティアルたち決行部隊は、ティアルとアシュナ以外は国内の所定の位置にいて、エテル王女が通ったら無線で知らせる、という作戦に出た。その最終目的を、エテル王女の御の保護と、決行部隊全体の軍からの離脱としているのは、軍の内部にいる者には全く予想もつかなかった。
「第一監視区域、エテル王女の姿は見えません」
「第二も同じく」
「第三、同じく」
「第四、同じく」
「第五、エテル王女が昨日通ったらしい情報を得ました」
ティアルは第五に反応する。
「第五、エテル王女はどの方角へ向かった?」
「こちら第五、エテル王女は東へ向かったそうです」
「了解、監視を続けろ」
「こちら第六、異状なしです」
「第七、同様」
「第八、エテル王女は北に進路を変えた模様です」
「こちらティアル、第八、エテル王女は急いでいるのか?」
「こちら第八、かなり急いで進路を変えた模様です」
「了解、監視を続けろ」
アシュナがティアルに声をかける。
「ティアル、第九からエテル王女を確認したっていう情報が!」
「何? 代われ」
ティアルはアシュナに代わって無線をつなぐ。
「こちらアシュナに代わりティアル。第九、エテル王女はどこにいる?」
「こちら第九、隊長、今馬車を降りました。教会の廃墟の前です」
「了解、逐次動きがあったら連絡を」
ティアルは無線を切り、アシュナを促す。
「行くぞ、第九監視区域にある教会の廃墟だ」
走り出したティアルを、アシュナは追いかけるようにして走る。
雨が降っていた。
通りは静かで、雨の音と自分たちの足音以外に聴き取れる音はなかった。
「こちら第九、エテル王女は廃墟から出てきて馬車に乗りました、今、進路変えずに北へ向かいます」
「こちらティアル、了解」
アシュナが言う。
「動きか?」
「ああ、また北に向かったと」
近づいてきている。
教会の廃墟の前に着いた。馬車の跡を確認する。まだ新しい。
「この雨じゃ消せない、これを追えば良い。……近いぞ」
アシュナはうなずく。二人は走り出した。
すべては、ここからだ。
(2016.4.23. 更新)